Alignement de bouteilles de Champagne

シャンパーニュの歴史

フランス史と深い関わりを持つ300年以上の歴史

Vitrail
Vitrail

第1章

起源

ガロ=ローマ時代から中世まで、シャンパーニュワインの歴史のはじまりに立ち返る

ガロ=ローマ時代 - シャンパーニュ地方で初めてブドウ栽培

歴史的にワインとかかわりのある地方

数世紀昔に遡ってみましょう。 ガリア人が住んでいた時代です。 現在のシャンパーニュ地方の大部分には、当時レミ族(フランス語ではレム「Rèmes」)が住んでいました。彼らは、ガリアがユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の進攻を受けるずっと以前にローマと同盟していました。

またワインを好み、ローマ人からワインを大量に買い付けていたとされています。 ローマ人は、ガリア全域を侵略すると、彼らにとって有利なこの取引を競争から守るため、ガリア人にこの地にブドウの木を植えることを禁じました。 この禁止令は、3世紀末に廃止されるまで続きました。

最近の発掘調査で、1世紀にはすでにシャンパーニュ地方でブドウ栽培が行われていたことが判明しています。

Cathédrale de Reims

王のワイン

ランスの名声は、496年にランスのノートルダム大聖堂で行われたクロヴィス1世の洗礼式とともに生まれます。 こうしてフランク族の王が選んだランスはシンボルとなり、歴代のフランス国王の戴冠式が執り行われる地となりました。 戴冠式には王国の偉人たちが集まり、戴冠式後の祝宴では、シャンパーニュのワインがあふれんばかりに供されたということです。 それ以来、まずスティルワイン、後にスパークリングワインとして、聖なるワイン、「王のワイン」の名声が確立され、 伝説のワインとしての知名度とイメージに大きく貢献することになるのです。

ご存知でしたか?

シャンパーニュ地方におけるワイン生産の繁栄と教会との関係

クロヴィスに洗礼を授けたランス司教、サン・レミが6世紀に残した遺言の中に、ランス郊外を含むいくつかのブドウ畑についての記載があります。 教会はシャンパーニュ地方のブドウ栽培の発展において主導的な役割を果たすことになります。 実際、サン・レミやランスの大司教、この地方の大修道院の多くが、広大なブドウ畑を所有し、 栽培法や醸造法はこうしたブドウ畑で培われました。

Marchands de vin
Marchands de vin (extrait)

中世 - シャンパーニュワインの登場

1000年以上にわたって
シャンパーニュのブドウ栽培は拡大していきます

1世紀にすでにシャンパーニュ地方でブドウ栽培が行われていたとされています。 ブドウ畑はその後急速に発展し、拡大していきます。 シャンパーニュ地方は重要な交易ルートに位置し、地理的に優位でした。 繁栄の主な理由は、第一に、中世のヨーロッパ経済の中心となるシャンパーニュ大市(Foires de Champagne)が発達したことですが、 ブドウ栽培地が北に位置しているおかげでもあります。

シャンパーニュ以北の地域はブドウ栽培に適していないからです。 こうして、シャンパーニュ地方は北ヨーロッパ商業圏の中心となりました。 百年戦争でブドウ畑が荒廃し、発展が滞った時期もありましたが、15世紀末には再びブドウ栽培面積が拡大します。

16世紀、パリ高等法院は、パリとその近郊のブドウ農家でブドウの品質が落ちたことを受けて、パリの居酒屋に対し、首都90キロメートル圏内でワインを仕入れることを禁じる勅令を発布しました。 ちょうどパリ近郊との境目に位置しているシャンパーニュ地方にとって、これは思わぬ幸運でした。 

Bouteilles sur lattes
Bouteilles sur lattes

第2章

シャンパーニュワインの誕生

1600年から1800年にかけて、
今日のシャンパーニュの姿が完成

1668年 - ドン・ピエール・ペリニヨンが果たした重要な役割

シャンパーニュ方式(シャンパーニュ製法)の誕生

オーヴィレ修道院ベネディクト会修道士ドン・ピエール・ペリニヨンや、ピエリー村にあるサン=ピエール=オ=モン修道院のウードール修道士をはじめ、修道士はシャンパーニュ生産技術の確立に決定的な役割を果たしました。 当時、ワインのブレンドは多少なりとも偶然の賜物で、正確な技術ではありませんでした。 そうした中で、異なるワインやクリュの相互補完関係を見出したのが、ドン・ピエール・ペリニヨンです。 彼は、さまざまな品種や産地を考慮した理論的な研究をもとにアサンブラージュ(調合)を試みるようになりました。 こうして、バランスが良く完成度の高い、品質の高いワインを作ろうとしたのです。 17世紀後半、シャンパーニュ地方で新しい圧搾方法が開発されました。ゆっくりと数回に分けて圧搾する画期的な方法により、黒ブドウから白ワインを造ることができるようになりました。

Dom Pierre Pérignon
Pressurage
Bulles de Champagne

テロワールと結びついたワイン

1670年から1720年にかけて、シャンパーニュワインの歴史に転機が訪れました。それまで自然現象であった発泡の仕組みを研究し、発泡技術を確立させようとしたのです。 これは同時に、発泡性ワインの歴史における転機となりました。それには2つの理由があります。

「シャンパーニュワイン」という言葉が使われるようになるのは1690年から

まず、発泡性ワインを造るための特殊な醸造技術が初めて確立されたこと。 次に、泡立つワインが初めてシャンパーニュ地方という特定の地域に結びつけられたためです。 中世まで、すべてのワインを総称して「ヴァン・ド・フランス」(フランスのワイン)と呼んでいましたが、 1690年から、「ヴァン・ド・シャンパーニュ」(シャンパーニュのワイン)という言葉が使われるようになります。

Maturation sur lies dans une cave de Champagne

ご存知でしたか?

シャンパーニュの醸造に欠かせないボトルとコルク栓

1685年、シャンパーニュ地方で初めてコルク栓が登場します。 17世紀、ガラス産業は徐々に進化し、大きな発展を遂げます。 1770年には、より厚く耐性の高いガラス製法によるシャンパーニュ用の新しいボトルが導入されました。 こうして、それまでワインのサービスにのみ使われていたボトルが、ワインの保存にも使われるようになりました。

樽の中で発泡し、すぐに消えてしまうことの多い泡立ちを、瓶の中に閉じ込めることができるようになったのです。 このやや泡立つワインは、一部の貴族階級や富裕層の間で人気を博しました。 このように上流階級がシャンパーニュワインを消費したことで、高級ワインとしてのイメージが定着していったのです。

Bouteilles de Champagne alignées
Bouchon de Champagne
Maison de Champagne Lacourte-Godbillon : cuverie
Maison de Champagne Lacourte-Godbillon : cuverie

第3章

ますます洗練をきわめる
シャンパーニュワイン

1800年以降、数々の技術開発のおかげで、
ワイン醸造技術の改良が進みます。

生産技術と品質向上に向けた取り組みは今日も続きます。

Barbe Nicole, veuve Cliquot-Ponsardin

シャンパーニュメゾン

最初のシャンパーニュ商は、ランス、エペルネー、そしてアイ村で商売を始めました。 最も知られているのは、ベルタン・デュ・ロシュレ、シェルタン、ドルアン・ド・ラ・ヴィヴィル、ゴセ、ド・パルテレーヌなどです。 18世紀には、高価なスパークリングワインの生産に必要なノウハウと十分な財力を持ったシャンパーニュメゾンが誕生します。 こうして、今日シャンパーニュを象徴する名前が登場します。 Ruinart、Chanoine、Fourneaux、Moët、Vander-Veken、Delamotte、Dubois、Veuve Clicquot、Heidsieck、Jacquesson…。数えればきりがありません。
Dépôt de lies
Remuage

ご存知でしたか?

適度な発泡に必要な
糖分量の調整

さまざまな工夫や開発により、発泡技術が徐々に確立されていきました。 長い間、発泡の状態はティラージュ(瓶内二次発酵のための瓶詰め)の日に大きく左右されていました。 そのため、すべてのボトルできちんと発泡するとは限りませんでした。 ボトルが破裂して大きな損失を出すことも多く、 逆に発泡が起こらずスティルワインのままというケースもありました…。 18世紀末、シャンパーニュの人々は、適度な発泡が起こるように、ティラージュの段階で糖分を加えるようになりました。 また、逆に、糖分が過剰なワインには、糖分の少ない古いワインを混ぜることもありました。 そして、19世紀初めになると、今日ピュピートル(澱下げ台)と呼ばれる「動瓶用テーブル」が開発され、沈殿した澱を瓶口に集めるようになります。 こうして続く「デゴルジュマン」で、溜まった澱を取り除くことができるようになりました。

技術革新は続く

1837年、シャロンの薬剤師、ジャン=バティスト・フランソワが、適度な発泡が起こるよう、ワインに添加する糖分量を正確に計測する方法を編み出します

これにより、ボトルの破損率が激減しました。

シャンパーニュ地方のイノベーション

現在も使われている
さまざまな革新技術

それから数年後、プラーク・ド・ミュズレ(キャップ)をコルクワイヤーで固定する手法が発明されました。

ルイ・パスツールが、酵母が糖分を分解してアルコールと炭酸ガスに変える仕組みを発見したのは1860年のこと。 それまで謎であった酵母と発酵の関係がついに解き明かされました。

そして1884年、シャンパーニュメゾンの経営者、Armand Walfardが、澱を凍らせて固めてから取り除くデゴルジュマン(澱抜き)の方法を発明します。 デゴルジュマンをするためには、まずボトルの瓶口を-27℃の溶液に浸します。これにより瓶口に集められた澱が凍って塊になります。 この状態で栓を開けると、内部の気圧によってこの氷塊が弾き出されます。このとき失われる気圧とワインはごく少量です。 この技術は現在でも使われています。

Capsules et muselets
Louis Pasteur

1890年 - フィロキセラ大流行

ブドウ栽培者とシャンパーニュメゾン
の連帯の原点となった壊滅的な危機

19世紀末まで、シャンパーニュ地方のブドウ栽培地は現在よりもずっと広く、6万ヘクタール以上にも及びました。 ところが、1863年に、フィロキセラ(ブドウネアブラムシ)がヨーロッパに侵入。 このアブラムシは、ブドウの根について樹液を吸い、枯死させてしまう害虫です。 この被害によってブドウの樹はほぼ壊滅状態に追いやられました。 シャンパーニュ地方では当初、病んだブドウ樹を伐採していましたが、この大流行によって、壊滅の危機を乗り越えるために団結し、対処しなければならないという意識が人々の中に芽生えます。

この共通の文化遺産を守ることの重要性を認識したブドウ農家とブドウ畑を所有していたメゾンは、1898年に シャンパーニュ地方ブドウ生産者協会(AVC)を立ち上げます。 同協会は、シャンパーニュ地方の品種を害虫に強いアメリカ産品種の(台木)に接ぎ木(根接ぎ)する方法で、ブドウ栽培地の再興を試みます。 この方法により、シャンパーニュ地方の白亜質土壌に適した病害に強い台木を使って、古くからある品種の特性を生かし続けることができます。

Cep de vigne
Phylloxera
Cave de Champagne
Cave de Champagne

第4章

名称保護の強化

 

20世紀から、シャンパーニュ生産関係者は、その類まれなる文化遺産と独自性の保護を目的とした数多くの活動を進めます。

1900年 - 初期の規則からAOC制定まで

シャンパーニュの生産地と

製法の保護を目的とした規則

 

シャンパーニュの価値を認識したシャンパーニュ地方の人々は、19世紀末から貴重な文化遺産不正使用に対処するための規則を確立させようと努めました。 1887年、アンジェの控訴裁判所により、シャンパーニュ地方で生産されるワインにのみ「シャンパーニュ」の名称を使用することを認める判決が下されました。 1905年には、農務省に「シャンパーニュ・ヴィティコール(シャンパーニュ地方のブドウ栽培地の地理的範囲)の限定」、ならびに「シャンパーニュの名称をこの地理的地域で栽培・収穫されたブドウのみから造られるワインのみに限定すること」を要請しました。 1935年、原産地統制名称(AOC)のコンセプトが生まれ、翌年にはAOCシャンパーニュの名称が認められ、シャンパーニュの人々が自らに課していたすべての規則が認可されました。

Bouteille de Champagne
Bouchon de Champagne
Les années folles en Champagne

狂騒の20年代

フランスで「レザネ・フォール」と呼ばれる1920年代は、とても華やかな時代でした。 ヨーロッパ全土に深い傷を与えた第一次大戦の終わりは、その痛みを忘れ、つかの間の平和を謳歌しようとする人々の歓喜に満ちていました。 喜びや楽しいひとときを象徴するシャンパーニュもあらゆるシーンに登場し、まさに「黄金時代」を迎えます。

1935年 - シャンパーニュ委員会の前身

シャンパーニュの保護を目的とした組織

1935年にシャロン委員会が設立されました。 シャンパーニュワインの生産に関する規則を共同で定義するための、メゾンとブドウ栽培者の代表者の集まりです。 1941年、シャロン委員会の延長として、シャンパーニュ地方ワイン生産同業委員会が誕生します。 この地域のワインを保護するためにさらに多くの権限が、この機関に集中しています。

ご存知でしたか?

不当な使用から保護されている名称!

喜び、贅沢、お祝いを連想させる「シャンパーニュ」は、世界中に名声を誇るがゆえに、不正に利用されることも少なくありません。 1960年、イギリスで販売されていた発泡性ワインに「スパニッシュ・シャンパーニュ」という名前が採用されました。 イギリスの高等裁判所においてこの名称が不正使用と認められ、イングランド法国家において原産地名称の保護が可能となり、その他の国々にとっても判例となりました。 こうした継続的な活動は、あらゆる種類の不正使用からのシャンパーニュ名称保護はもちろん、消費者に対して購入するワインについての透明性ある情報を保証することにもつながるのです。

2021年、欧州連合司法裁判所は、シャンパーニュの原産地名称を含む原産地名称の保護をいっそう強化。「Champanillo」(スペイン語で「小さなシャンパーニュ」の意)という名前のタパスバーチェーン店に対する訴訟で判決を下し、 「シャンパーニュの原産地名称は商品だけでなくサービスからも保護される」としました。

シャンパーニュの名称

Le comité Champagne
vigne et cheval
vigne et cheval

第5章

持続可能なブドウ栽培への
コミットメント

シャンパーニュ地方では、1982年からブドウ栽培のレベルで持続可能な開発の原則を導入しています。以来、改善プロセスを継続・強化。

1982年から現在まで - 環境負荷の低減

さらなる持続可能性に向けて共にコミット

1980年代に入って、テロワールを保護することの重要性が認識されて以来、シャンパーニュの農家は、より環境に配慮した栽培方法の改善に取り組んでいます。 土壌に及ぼす影響の低減、廃棄物の再利用、ブドウ畑の保護…。 シャンパーニュ生産プロセスのあらゆる段階で、そうした努力が行われています。

2003年、シャンパーニュはブドウ栽培地として世界で初めてカーボンフットプリントを実施しました。 これに続いて、ブドウ栽培事業とワイン醸造、輸送、建築物、物資・サービスの責任ある購買、共通の取り組みの、5つの大きな方針のもとに、対策プランが開始されました。 これらの措置を通じて二酸化炭素排出量削減を15%削減することが可能になります。

Paysage de Champagne
Coccinelle sur un cep de vigne

ご存知でしたか?

シャンパーニュ地方のブドウ畑がユネスコ世界遺産に

2015年、ユネスコ世界遺産条約締約国21国の代表者は、全員一致で、「シャンパーニュの丘陵、メゾンとカーヴ」を「進化を遂げる生きた自然景観」のカテゴリーで世界遺産リストに登録することを決めました。 この地方のブドウ栽培・ワイン製造の文化的景観と比類ないテロワールの顕著な普遍的価値が認めらると同時に、その保護管理体制全体が評価されたのです。

Confusion sexuelle en Champagne

持続可能な開発をシャンパーニュ造りの中心に

持続可能な開発への取り組みは、シャンパーニュ生産のあらゆるレベルで進められています。 2050年までに、シャンパーニュにおけるカーボンフットプリントを75~80%削減することが目標です。 これと並行して、環境保全はもちろん経済的・社会的レベルで慣行を改善することを目的とした数多くのプログラムがあります。 常に進化を目指す、文字どおりの継続的改善アプローチです。

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